気の向くままに、毒舌に。

私の考えを毒舌満載でお届けします。

私が理不尽なものに立ち向かうようになった理由

私、自分が違うと思ったら、相手が上司であろうと自分の意見をぶつけます。

クレームを受けたら立ち向かうし、嫌味を言われても立ち向かう。

これだけ聞くと、昔から強かったと思われがちですが、実は全然違います。

私は昔から人前で話すことや自分の意見を言うことがかなり苦手で、そして人見知りも激しくて、友達も少ないタイプでした。

そんな私が、こんな逞しい性格になったのは、正直自分でも驚きなのですが、きっと中学1年生のときの経験があるからだと思います。

かなり思い出したくはない話ですが、今回はその時のお話をしていきたいと思います。

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私の中学校は、地元では悪名高き学校でした。

もちろん問題児ばかりいるわけではなく、ごく一部の問題児のせいで悪名が高くなった公立中学校です。

例を挙げると、廊下をバイクで走る、教室で飲酒喫煙、教室に包丁持ち込み暴れる、夜中に1階の窓ガラスがすべて割られる…本当に昭和の不良ドラマかよって思うくらいでした。

(さすがに包丁振り回した人は更生施設行きでしたが、その他の人は親が呼ばれるくらいで済んでいました)

そんな学校だからこそ、いじめはものすごいものでした。

しかも良いのか悪いのか、特定の人に対するものではなく、首謀者2名以外は1~2週間程度の期間順番にいじめられるという独特なシステムのいじめでした(複数人重複期間もあり)。

そもそもいじめ自体あってはならないことなのですが、私たちはたぶんそれを当たり前の日常生活としてとらえていました。

 

それが私には不思議でならなかったのです。

だって(2名を除いて)みんながいじめにあうのですよ?

いじめられる辛さ(基本的に口をきいてもらえない、悪口を聞こえるように言われる等実害のない精神的いじめが中心)はみんなわかっています。

でも、それなのに、自分以外がいじめられる番の時にはそのいじめに加勢するのです。

自分がいじめられないように、いじめに加勢するなら分からないこともないのですが、どうせ自分も順番が来ていじめられるのです。

どうして、いじめ自体をなくそうとしないのか、そのいじめのシステムを受け入れ続けているのか、不思議でした。

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そもそも私は常に傍観者のスタイルでした。

積極的にいじめに加勢することもなく、必要があれば話す感じで。

そしてもちろん、私の仲の良い友達がいじめられている期間でも一緒にいました。

だって、私の交友関係にとやかく言われたくないし。

そしていつのまにか、いじめられている子たちは、いじめられている期間だけ私たちの周りに来るという現象が起こったのです。

(いじめられる期間が終わると、元の友達の所へ戻って行くのですが)

都合よく使われていることは分かっていたし、私は聖母ではないので、自分の友達には優しくするけれど、友達ではないいじめられている人に対しては普通に接するだけで特段優しくはしませんでした。

 

ある時から、「明日から1週間彼氏のこといじめないといけないから仲良くしてあげて」「友達がいじめられる番だけど一緒にいてあげて」など言われるようになりました。

「自分で一緒にいてあげたらいいじゃん」そう思わずにはいられませんでした。

なぜみんなは、ただの同級生である首謀者2名によるいわゆる独裁政治に反発しないのか。

そしてある日、決していじめはしないと思っていた私ですが、言ってしまったのです。

「だったら、みんなであの2人をいじめたら」って。

 

結論から言うと、首謀者2名をいじめることはありませんでした。

でもそれは、いじめられると勘付いた2名がうまく立ち回ったからであり、かなり多くの人たちは仕返しとばかりにいじめる気満々だったようでした。

でも、これがきっかけとなり、中1から続いていた独裁政治は中3の前半には終わりを告げて(単純に受験に忙しくなったのかもしれませんが)、定期的にいじめが起こることはなくなりました。

 

私はこの時、確かにいじめられる辛さも学んだし、友達だと思っていても信じられないと人間不信にもなりかけました(私がいじめられる順番の時でも近くにいてくれた友達は、今でも仲の良い友達です)。

でも何よりも、理不尽だと思ったら声を上げないと何も変わらない。

行動に起こせば、改善するかもしれないということも学んだのです。

きっとこれが、私が今、理不尽なものに立ち向かうルーツになっていると思います。

 

日本人の悪いところは、長いものに巻かれろ精神だと私は思います。

多勢が必ずしも正しいわけではないと思うし、私が必ずしも正しいとも限りません。

でもそれは、声を上げてみないと分からないし、何もしなければ何も変わらないのです。

 

持って生まれた性格は変えられないとは言いますが、それは本当だと思います。

私は多分客観的に見たらかなり強くなりました、でも根本的な部分はほとんど変わっていません。

相変わらず人前で話すのは苦手だし、かなりの人見知りだし、友達も少ないし。

でも、長いものに巻かれて理不尽なことを我慢するのであれば、声を上げる、その勇気を掴み取ることが出来ました。

理不尽なことと戦っても必ず勝てるわけでもないし、かなり辛いことになるかもしれません。

でも、そうなったらその時また考えればいいのです。

行動した勇気は素晴らしいことだし、何もしないよりはずっといいと私は思います。

かなり暗い話にはなってしまいましたが、少しでも共感頂けたら嬉しいです。