「共感」という名の思い込みの勘違い
共感は相手の意見に寄り添う、良いことでいいことではありますが、それに影響されてはいけません。
「共感」は「同感」とは違います。
その感情、意見は相手のものであり、決してあなたが初めから持っていたものではないからです。
第三者の夢や目標をきいて、今までの人生経験を聞いて、それに共感することはあると思います。
でも、それがきっかけで自分もそれを目指す…それは本当にあなたの意志ですか?
流されてるだけではないでしょうか?
決して、他の人の刺激を受けるなど入っていません。
もちろん、人生の先輩にアドバイスをもらう事もありますし、本当に友達の意見に賛同する時もあります。
でも私の周りに数人いるんです、自分の意見がない人。
いや、自分では自分の意見だと思っているけれど、客観的に見るとただ第三者の意見に流されているだけであろう人が。
ましてや、「共感」に「憧れ」が加わるともうダメです。
「自分もそうなりたい、それを目標にする」ってなってしまう。
能力も、今までの人生の過程も、バックグラウンドも何もかも全然違うのに、同じ目標にすれば本当に同じだけの可能性を秘めているのでしょうか?
みんな優しいから努力は報われるとか、やれば出来るとか、あなたならできるとか言うけど、私はそんな甘ったれた言葉言いません。
運も実力のうちとは言いますが、金銭的な面、人間関係、能力、生まれ持った才能、努力じゃカバーできないことはたくさんあるのです。
そして、たとえ同じ結果になったとしても、それを幸せに思うかどうかは人によって違います。
目を覚まして欲しい。
本当のあなたは何がしたいの?
憧れの人に自分を重ねるな、身の程を知れ。
言葉は厳しいですが、一度考え直してみて欲しいのです。
その自分の意見は、目標は、本当に自分のものなのかどうか。
誰かの影響を受けているだけではないのか。
それでもなお、自分の意見だ、目標だって胸を張って言える人は、それに突き進んでください。
私は、その目標は努力をすれば叶うと思います。
だって本当の自分の目標だもの、途中で投げ出すわけないでしょう?
途中で諦められる目標なんて、最初から本気じゃなかった、つまり自分の意思じゃなかったのだと私は思います。
昔の私がそうだったから。
その偽物の目標がなくなった時、自分を見失ってしまうかも知れません。
でも私は、その過程があったからこそ、本当の目標を見つけることができました。
皆様も本当の自分の意思で目標がたてられますように。